2020年度二本目の大根納品
2020/11/15(土)、前日のうちに収穫しておいた大根を、昔仕事でお世話になった東京の加工屋のおっちゃん宅を訪問して奥さんに納品(^ ^)。
日曜出張の前日移動中の短い滞在であったが、穏やかで楽しいおしゃべりに加えて、茨城のめだか米の炊き込みご飯、山形の美味しいたくあん、お土産に大師巻までいただき、豊かな時間を過ごさせていただいた。
感謝感謝(^ ^)。
おっちゃんとの出会い
おっちゃんと出会ったのは2012年。私が入社して初めて、「泥臭い作業を通して課題の本質を見抜き、的確な目標を設定し、目標を達成するために必要な技術を発掘」という、本質課題解決の一連の流れを自力で成し遂げたと自負できる経験の中心に、おっちゃんの会社・技術があった。この経験があったからこそ、質の良い仕事を最後まで仕上げられる素地・自信が養われたと思っているし、私の思うがままに好きなようにやらせてくれた上司やおっちゃんにはとても感謝している。そしておっちゃんへの想いは単なる技術者としての畏敬の念だけではない。2013年の11月、ふと雑談していたところ、お互いに玄米菜食である共通点に気付く(※1)。そこから食について色々とご教示いただき、プライベートで家に呼んでいただいたり、東京のベジタリアンレストランでばったり出くわしたり、私の畑の農作物を届けたりといった関係となっていた。おっちゃんは甲状腺に癌を患っていたが、職人にしては珍しく、顧客とのフェイストゥフェイスの関係を大切にしていたため、手術ではなく、癌と付き合っていくことを選ばれていた。その答えが玄米菜食で、余命数カ月と言われていたのに5年以上ぴんぴんして現場で仕事をこなし、医者も驚くほどであった。そんなおっちゃんも、1年半ほど前に玄米菜食をやめ、食を楽しむようになり、癌が進行して体調を崩されていた。そんなことも知らず、2016/2/11に私が「サトイモが採れたので納品に伺ってもよろしいでしょうか」とメールしたところ、入院されていてお会いできないとのこと。心配だったので、おっちゃんが好きな猫の写真集を手にご自宅を訪問し、ご家族に渡そうと思ったら、たまたまいったん退院されていて直接お会いすることができた。面白いことに、2015年の9月ごろ、私と時を同じくして糖質制限を初めていたとのこと(※2)。おっちゃん私とは、なにかシンクロしたように色々とタイミングが一致する不思議があった。
※1:かぶきもんは食生活を頻繁にいじっており、2020年11月現在は玄米菜食ではない
※2:※かぶきもんは頻繁に食生活をいじっており、2020年11月現在は糖質制限していない
おっちゃんとの最後の面会
2016/11/23、シーズン3本目の大根をおっちゃんに献上(^ ^)。3日前、「11/23に大根を納品に伺ってもよろしいでしょうか」とメールしたところ、「空いてはいますが、ここのところ体調も悪く、ほとんど言葉を発することもできなくなりました…」との返信。甲状腺におっきな癌を持っているおっちゃん、不安がよぎる。幸いまだ元気そうで、奥さんを中心に楽しくお茶することはできた。帰り際の握手もこれまで以上に力強く、ひとまず安心した。でも、おっちゃん自身が自分の体のことを良く理解しようと努め、「癌は少しずつ大きくなっていて、やがて気道を塞ぎ、今以上に苦しくなって弱っていくと思う」と仰るように、こうやって穏やかに過ごせる時間も永くは続かない。
今日この瞬間が最後かもしれないという心持ちで、健康で元気に接する当たり前の時間をしっかり噛みしめて、一瞬一瞬を大切に、反省すれども後悔のない人生を歩みたいと強く思った。
※ 2020/11/16、本稿を書くにあたり、おっちゃんからとのメールのやり取りを振り返り、当時の大根納品後のおっちゃんからの「大根とっても美味しかったです。瑞々しく柔らかく…。(o⌒∇⌒o)」というメールを見て、少しうるっときた。。。
おっちゃんとの最後のメール
2017/7/23、外注加工先の東京大田区のおっちゃん宅へ、朝採りのゴーヤーとトマトを配達(^ ^)。去年の11/23に大根を納品して以来、おっちゃんの容態は悪化気味のようで、本日はおっちゃん入院中につき奥様と二時間ほど談笑。絶妙なタイミングで奥様の山梨のいとこさんからジャガイモなどが配達されたので、ありがたく頂戴する。これぞ物々交換(笑)。またおっちゃんに挨拶できることを祈って、次はそうめんカボチャを配達することを約束してこの日は退散。
健康であることの有り難さに感謝し、日々の一瞬一瞬を大切に、そんな人生を歩んでいけたらなぁと、農民かぶきもんはしみじみ思うのでした
金糸瓜に込める最後の想い
2017/8/6夜、初台あたりでピアノサークルの二次会が終わった後、バイクで東京の加工屋のおっちゃん宅へ、二週間前に約束したそうめん南瓜の納品へ。バイクを一晩停めさせていただきつつ、翌朝はバイク回収ついでに、コーヒーとフルーツをご馳走になりつつ、お土産に山形のだだちゃ豆をいただいた(^ ^)。おっちゃんはまだ入院中だったが、少しでも元気になってくれればと祈るばかり。企業の技術者として、多くの素敵な外注先の方々と独創的な仕事を仕上げてきたという自負があるが、おっちゃんのような加工屋さんだろうが、設備屋さんだろうが、ソフト屋さんだろうが、自分の構想を具現化してくれる高度な技術を持った外注先との仕事の仕上がりの質を決めるのは信頼関係に尽きると思う。もちろん、ただの熱々精神論になってしまわぬよう、本質を抑えた構想と技術があるのは大前提だが、そこに義理と人情の要素入ることで、「xxさんに仕事をお願いしたい」、「yyさんのためにものづくりをしたい」という信頼関係を構築できれば自ずと質の高い仕事に仕上がる。発注する側は上から目線になりがちだが、支払った金額に相当する対価を受け取る対等なパートナーであることを忘れてはならない。また、ビジネスの世界では精神論を冷めた目で見がちだが、仕様書を投げてお金を払えば終わり的な考え方でお金と労力をドブに捨てることが日常茶飯事に起きている。これは日本の社会問題だと思う。むしろ、見返りのない趣味の集まりの方が質の高い組織運営ができることだってある。表面的で政治的な支配欲や自己顕示欲がなく、互いを信頼して肯定し合える組織運営が広がっていけば、社会はもっと魅力的なものになっていくことでしょう。ビジネスの世界で一緒に課題解決を共有する過程で形成される信頼関係は、実生活ではなかなか構築できない強固なものにできることが多い。せっかく作った関係を大切にして、いつか点が繋がっていくことを信じてコツコツ積み重ねていきたいものです。そして、こういった機会を与えてくれた部長やその他の方々へ感謝しつつ、自分もそういう存在になれるよう、日々精進していきたいものです(^ ^)
おっちゃんとの別れ
2017/8/22、奥さんから突然の訃報が入った。おっちゃんは入院中だったため、7/23にはゴーヤ、8/5にはそうめん南瓜などを大田区のご実家の奥さんに届け、「喜ぶ奥さんの話を聞いて少しでも元気になってもらい、また直接お会いできれば」と思っていたが、叶わぬ夢となってしまった。色々と思うところはあったが、前年の11/23に、まだ会話ができるうちに大根を納品できてよかったと思う。奇しくも私の誕生日にお通夜、しっかりとお見送りしてきた。
「◎◎しとけばよかった」なんて思うことの無いように、重要な潮目の変化や出会い、巡り合わせなどを見逃さぬよう、直感を大切にして、常に納得できる人生を歩んでいきたいものだと、かぶきもんは思うのでした。
奥さんとの交流
2018/1/17、前日1株から3kgの里芋を収穫したので、1kgほど、大田区の加工屋のおっちゃん宅へ納品。前年8月におっちゃんの葬式に参列して以来、奥さんからは「もう主人もいないのにわざわざありがとう」という言葉を賜る。そういう気持ちを言葉としていただくのは嬉しいが、私は私の考え方、生き方を実践しているだけなのだ。
かぶきもんはメーカーのサラリーマンとして、設備、ソフト、外注加工など、あらゆる技術を発掘して多くの構想を具体化してきた。しっかり結果を出してきたので自信を以って明言できるが、規模が大きくて質の高い仕事を遂行するには、人間的な信頼関係が欠かせない。物事がうまくいっているときは、尊敬・信頼し合い、互いに支援したいという想いが自然に芽生えている。発注する側は上から目線になりがちだが、支払うお金と等価なサービスを受ける以上、対等なパートナーであるという姿勢を忘れてはならない。そして中身を伴わない表面的な行動は簡単に見透かされ、相手の気持ちを冷ましてしまう。結果、仕様書の体裁だけ保った、契約上は文句のつけられない表面的な仕事に終わってしまう。
構想を実現する過程は、広範かつ強固な人的ネットワークを構築するきっかけとなる。実生活ではほとんど経験することのない規模の課題解決の機会がポンポン訪れる研究開発・生産技術の舞台は、普通にはありえない強い信頼関係を作るまたとないチャンスの宝庫である。契約から納品に至るまでの過程は、互いの人間性、価値観、本質課題の分析センス、目標への道筋を描く想像力、専門技術・知識などが、深層の本質までむき出しになるからである。こういった課題解決を通して形成される信頼関係は、次に何かを成し遂げたい時に必ず活きてくるし、それはその関係からしか実現し得ない世界で一つだけのものになる可能性を秘める。交流会や飲み会を繰り返してできるたくさんの表面的な人間関係よりも、課題解決の過程を共有して得られる1対1の深い人間関係の方がはるかに尊いのだ。そしてこの関係を仕事という狭いくくりとどめず、プライベートまで広げた方が豊かな人生に繋がるというのが私の持論。たとえ相手が亡くなっても、その関係への想いが色褪せることはない。
「契約(=お金)の切れ目は縁の切れ目」、「特定の人がいるときだけいい顔」、そういう未来の画が見える相手なら、少なくとも私は組まない。「この人なら信頼できるし一緒に仕事がしたい」と思える人と組んで仕事する、つまり自分の感情に素直に従ってこつこつ生きる、人生はその積み重ねだと思うのです(^ ^)。
本稿の最後に
個人の単なる思い出日記がダラダラと長くなってしまいましたが、もし最後まで読んでくれた奇特な人がいらしたら、お付き合いいただきありがとうございました(笑)。
推敲なしの冗長な文章、読み返したらぐちゃぐちゃでしたが、書き直す体力もなくなってしまったのでご容赦あれ…(;´Д`A
この記事、ブログでいいなと思ったら、ぜひぜひイイねやコメント、ブックマークやSNSで共有よろしくお願いしますー!( `・∀・´)ノヨロシク
コメント